馬場下通路説明板より | |
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物見台下土橋から竪堀までの間には石敷きの通路が発見された。
この通路は防御上、土橋から見通せないように曲がった通路と
なっている。通路は、竪堀にかかる木橋方向と、堀底へ下りる階段へ
分岐している。
石敷き通路の南側には、谷側からの敵に備えて
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土橋 | |
土橋左側 | 石敷き通路 |
竪堀 | 竪堀の石段から振り返る |
竪堀から木橋 | 木橋を振り返る |
土橋を渡って先を見る。 | 木橋から馬場下通路へ。 | 竪堀横の土塁石垣 |
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馬場下通路説明板より | ||
(東より) |
木橋の東側では、石敷き通路が岩盤斜面を登って物見台から 馬場曲輪へ通じる通路へと合流する。また、この通路は東端で 行き止まりになっており、通路に面して建物の礎石や岩盤を くり抜いた柱穴が発見され、この狭い通路沿いに2棟の建物が 存在していた事がわかった。いずれも建て替えが行われており、 最終時期の建物位置を表示している。 この馬場下通路には、敵兵の防御と攻撃の為の工夫が各所に見られる。 馬場下通路掘立建物址柱穴(東より)→ |
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礎石建物址 | 掘立建物址 | |
岩盤斜面際の礎石石列は、発掘調査で確認された実物である。 (柱間の木材は、補強のため整備上取り付けたもの。) |
岩盤をくり抜いて柱を建てた簡易な建物址。 | |
物見台、大手口馬場へ続く石段 | 掘立建物址から馬場曲輪を見る | 馬場曲輪の石垣 |
馬場曲輪の説明板 | ||
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物見台から、東に向かう通路は、北斜面際の石敷き通路を経て、 馬場曲輪へと至る。 馬場曲輪の調査では、岩盤をくり抜いた柱穴が240個以上見つかり、 位置関係から建物や柵列があった事がわかった。また、建物は 少なくとも5回の建て替え、曲輪の生活面は3回の造成があり、 頻繁に造り替えを行っていた事も明らかになった。 廃城時期の馬場曲輪における、建物3棟のうち両側の2棟は 平面表示とした。また、中央の1棟は柱穴の位置を利用して、 新たに四阿を建てた。そのほか、曲輪の中央部分に 石組み排水路、曲輪全体を囲む柵列の存在も明らかとなり、 あわせて整備した。 | ||
①馬場曲輪柱穴調査時(西より)
②石組み排水路調査時(東より)
③馬場曲輪南側調査時(西より)
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四阿左側&右側の建物址 | 排水路跡 | |
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排水路跡 | 馬場曲輪上下2段の石垣 | |
大堀切(三の丸下堀切) | |
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また、堀底には長さ約7m、高さ約1.5m、幅約1.8mの石積みで 出来た畝状の防御施設が1ヵ所見つかった。 堀底が平らになっていることで、敵兵の侵入経路にならぬよう、 障害物として造られたものであると考えられる。 ①尾根を深く掘り下げて造られた大堀切 ②敵の侵入を阻む為に造られた ③上部と中央が破壊された状態 石積みの防御施設 で見つかった。 |
馬場曲輪から見た石積み | 大手口馬場下堀切 | フェンスの向こう側 |
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上から見るとよく石積みが見える。 | 馬場曲輪の下にある(フェンス近く) | フェンスの向こうはこんな感じ。 |
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