【左】本丸から天守が立つ天守曲輪方面を。
【右】天守から伏見御殿跡を見下ろして。
【左】伏見御殿跡。写真右奥が湯殿。
【右】(切り取り加工)天守から伏見御殿跡を見下ろして。
【左】御台所門跡から写真左奥の人質櫓跡を。
【右】本丸側から。
【左】御台所門跡(桝形)から鐘櫓、右手前隅が、火打櫓跡。
【右】右手前隅が、火打櫓跡。
築城当時より城下や近隣諸村に「時の鐘」を告げた遺構で、江戸期には鐘と共に緊急時、武士を招集する太鼓も備えていた。 当初は柿葺か桧皮葺であったが、明治以後、荒廃が激しく度々の補修の為原形をとどめない状況であった。 昭和54年、銅板葺とし旧規に復したものである。(福山市教育委員会の案内板より)
福山城本丸西南隅に位置する三層の隅櫓。伏見城「松の丸東やぐら(梁の陰刻による)」 にあったものを元和8年(1622)水野勝成の福山城築城に当たって、将軍秀忠が移建させたものである。
【左】本丸側から。
【真ん中】(切り取り加工)天守から。写真右側に、伏見櫓の頭が見える。
下から見上げると凄い存在感(^^)