入母屋造り、本瓦葺、脇戸付き、櫓門、福山城本丸の正門で福山城築城に際して、伏見城から移建したものといわれている。 柱の角に筋鉄を施し、扉に数十本の筋鉄をうちつけているためその名が生まれたものである。 左に渡櫓、右に多聞を連接さしたもので、後代の桝型多聞の型をとらない初期様式のものである。
【左&真ん中】本丸側から。
【右】横からで、右側が多門。
【右】筋鉄御門の石垣に刻印が見られた(^^)
■湯殿…京都、伏見城内にあった御殿とともに移築した建物で、国宝にしていされていたが、昭和20年(1945)の戦災により焼失した。 昭和41年(1966)に、内外ともに復原したものである。(案内碑より)
【左】本丸側から湯殿。
【右】石垣側から見ると驚き(@@)
月見櫓はもと京都、伏見城内にあったものを移築したものと言われ、本丸の東南隅に位置し、望楼の役割を成していた。 明治の初め頃、取り壊されたが、昭和41年(1966)に天守閣とともに外観復原した。(案内碑より)
【左】鏡櫓側から。
【真ん中&右】本丸側から。
福山城本丸東側に位置した2層2階の櫓。 元和5年(1619)水野勝成が10万石の領主として福山城を築いた時に、建てられたもの。 明治6年廃城の際に取り壊されたが、市制50周年記念事業の1つとして昭和48年外観復原された。(案内板より)
【左&右】本丸側から。
【真ん中】鏡櫓から月見櫓を。
【右】(切り取り加工)見上げて。