トロとまったり・tripのページ(島原城 その1)

長崎県 島原城

ながさきけん しまばらじょう

■島原城=520円
開館時間=9時〜17時半
駐車場=有料駐車場

2010/5/2現在

住所=島原市城内1丁目1183-1
この時は、フェリーからだったので、島原外港信号を直進し、ずっと道なりに進んで、案内に従って県道58号を右折。 大手広場信号を左折し、次に堀手前を左折、時計回りに行くと本丸への駐車場。

島原城

この地は森岳といい、有馬晴信が本陣を構えて佐賀・龍造寺隆信軍を撃破した所である。 この瑞祥の地に、五条(奈良県)から入封した松倉重政が島原城を築いた。 元和4年(1618)着工、4〜7年の歳月を経て完成。同時に島原城下町も整備したという。 破風を持たない層塔型総塗込の五層の天守閣を据える本丸。 北へ二の丸と三の丸を配置して、要所を三層櫓で固め、外郭は4kmにわたり矢狭間を持つ練塀で取り囲んだ。 4万石の大名には過分な城である。ここに有馬氏時代からの海外貿易の利益と、松倉氏の新興大名としての意気込みが見られる。 以来、松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・再び松平氏と4氏19代の居城として輝いた。 その間、寛永14年(1637)島原の乱では、一揆軍の猛攻をしのぎ、 寛政4年(1792)島原大変時には、打続く地震と足下を洗う大津波にも耐えてきた。 明治維新で廃城になり、払下げ・解体されたが、島原市民の夢である御城復元への取り組みが長年続いた。 昭和39年(1964)天守閣が復元するなど、次第に昔の面影を取り戻しつつある。(案内板より・絵図も)

フェリーから
料金所(本丸入口)
駐車場

【左】熊本からのフェリー内から♪
【真ん中】本丸入口手前に料金所。
【右】幅が狭いので愛車(青色)を端に。

本丸・西側

【左】現在の入口方面。
【真ん中】左の写真の左側の石垣を前から。
【右】堀に出っ張っているのは名残りのクランク。

本丸・西〜南

【左】現在の入口の石垣。
【真ん中】左の写真の右側。分断されなかったら凄かったんだろうなぁ。
【右】南側の堀。

西の櫓

【左】二の丸西側から見たもの。格好いい!

「四郎乱物語」は、作者も成立年代も明らかではないが、いわゆる「島原の乱」の経緯が物語風にまとめられ、戦いの推移が非常に詳細にされている文献である。 乱は島原城が落成した14年後に勃発した。 (寛永14年・1637)当時の城主松倉長門守重次は、たまたま江戸参勤の為に在城せず、一揆軍はその留守を突いて蜂起し、島原城を攻撃した。 この四郎乱物語の中の「鯨の事」は、松倉豊後守重政が島原城を築いた時、万一の場合に備えて鯨2本を、西の矢倉(櫓)の下に埋めておいたものを、 兵糧の足しに掘り出して用いた事を述べた珍しい記録である。(案内板より)

【右】入口から。

西の櫓の下

【左】西の櫓横の階段を下りると…。
【真ん中】隅は広くなっていた。
【右】西の櫓下の南側には腰曲輪が。

西の櫓付近から

【左】「島原大変肥後迷惑」と呼ばれた最大の火山災害を出した眉山。
【真ん中】現在の入口。 【右】本丸北西側の堀。

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