トロとまったり・tripのページ(高松城 その1)

香川県 高松城

かがわけん たかまつじょう

■高松城(別名=玉藻城)
■玉藻公園=200円
駐車場=無料駐車場

2007/5/1現在

住所=高松市玉藻町2番1号
この時は、高松自動車道 高松西I.C〜県道〜国道11号を高松市街へ東に進み、 田村町交差点を国道11号へ左折。 途中で国道11号は右折するが、そのまま直進の国道30号を進み、 歴史博物館の案内板が出るので、寿町1信号を右折。少しして左側に、 艮櫓が見えて、歴史博物館の案内板に従って、左折。線路を渡って、 すぐ左に駐車場があった。

高松城

写真をクリック→拡大。

高松城は別名玉藻城とも呼ばれているが、これは万葉集で柿本人麿が詠んだ「玉藻よし」という讃岐国の枕詞をとって、 このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるといわれている。 この城は、生駒親正が天正15年(1587)に、豊臣秀吉から讃岐一国17万6千石を与えられ、天正16年(1588)から築城に着手した平城(水城)である。 縄張は、当時築城の権威であった黒田孝高(如水)とも細川忠興ともいわれている。 瀬戸内海の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は、日本の三大水城の1つと呼ばれている。 城は、本丸を中心に時計回りの方向に二の丸、三の丸、桜の馬場、西の丸が配され、三重の堀とともに堅固な構えとなっていた。 生駒氏の治世は4代54年間続いたが、寛永17年(1640)に生駒騒動といわれる御家騒動により、讃岐一国を召し上げられ、出羽国(秋田県)矢島1万石に移された。 この後、寛永19年(1642)に当時、常陸国(茨城県)下館藩主だった松平頼重が東讃岐12万石の城主として入城した。 頼重は徳川家康の孫で、有名な徳川光圀(水戸黄門)の兄にあたる。 将軍家と近親の関係にあった頼重は中国・四国の監察役を命じられていたといわれている。 頼重以降、松平氏の治世は11代228年間に亘り、高松は松平氏の居城として栄えた。(案内板より)

旭橋

【左】旭橋。奥に見えるのが、旭門。
【真ん中】旭橋から中堀。
【右】旭橋から駐車場。少しだけ愛車が見える(^^)

旭門

城の南側の桜の馬場の南中程(現在の南西隅)に大手門があったが、寛文11年(1671)頃、三の丸に藩主の住居である旧披雲閣が建てられたため、 これを廃して新たに東に旭橋を架け、それを渡って旭門から出入りするようになった。 旭門を入ったところにある巨石を積み重ねて作られた枡形は、攻め込んだ敵を包囲したり、攻め出す時に中に兵士を並べてその概数を知るためのものである。 枡形の北面には埋門があり、南側には太鼓御門があった。(案内板より)

桝形

【左】旭門(東入口の料金所)を通って、枡形へ。 旭門の説明文にあるように、大きな石が多く使われていて見ごたえがある!
【真ん中】旭門方面。
【右】太鼓御門跡側から桝形、埋門。

太鼓御門跡

【左】桝形から太鼓御門跡。奥に見えるのは、東の丸にあった艮櫓。
【真ん中】左の写真の右側の石垣。
【右】太鼓御門跡。

太鼓櫓跡&旧東の丸 艮櫓

高松城は、讃岐の国(香川県)の国主だった生駒親正公が築城したもので、生駒氏が寛永17年(1640)に出羽の国(秋田県)に移封せられた後、 寛永19年(1642)に東讃岐12万石の領主として入府した松平氏が、本丸、東の丸、新曲輪などを修築し、規模を整えたといわれる。 東の丸は現在の県民ホールの辺りをいい、寛文11年(1671)頃より行われた大改修の際、北方の海辺を埋め立てて、海に面して新たに構えられた郭である。 艮櫓は、もともと東の丸の北東の隅櫓として建てられたもので、北東の方角のことを丑寅(艮)ということから、この名前がある。 記録によれば延宝5年(1677)に完成されたようで、現在残されている月見櫓と同時期に建てられたものである。 昭和40年(1965)8月に当時の所有者であった日本国有鉄道より高松市が譲渡を受け、国庫、県費の補助金を得て昭和40年10月より工期2年、 工事費2,800余万円を費やして解体修理を行い、東の丸の東北隅より、現在の旧太鼓櫓跡に移築復元された。 この移築にあたって、艮櫓の規模に合わせて城内側に石垣の拡張工事を行ったほか、石落としの取付の関係上、建物を右に90度回転させている。 櫓の構造としては南北に大きな千鳥破風を設けているほか、各階の窓の土戸に特異な形状をもち、さらに2,3階には城内側にも銃眼を設けるなどの特徴が見られる。 移築修理の際、この櫓は建立直後に補強的な改造を受けているほか、安政3年(1856)には、殆ど解体に近い大修理を受けていることがわかった。(案内板より)

【左】太鼓櫓跡に、東の丸にあった艮櫓が移築復元されている(^^)
【右】ライトアップ。小雨が降るから焦ったけど、きれいに写せたので良かった♪

【左】旭橋からの角度が格好いい(^^)
【右】東側から。

桜の馬場

【左】桝形を抜けると太鼓櫓跡で、今は、東の丸にあった艮櫓が立つ。その先は、桜の馬場へ。
【右】(切り取り加工)桜の馬場の石垣。

桜の馬場から天守台、内堀、桜御門の石垣

【パノラマっぽく加工】天守台は修復工事をやっていたけれど、堀の水の色や石垣の多さに、感動〜(^^)

▲上へ戻る