トロとまったり・tripのページ(高松城 その5)

鞘橋

鞘橋は本丸と二の丸をつなぐ唯一の通路で、古くは欄干橋と呼ばれ、 両側に低い欄干がついていたことが、高松城屋敷割の地図(寛永16年生駒家時代の地図) や松平家の高松城下図絵屏風(延宝4年以前の有様を描いたもの)で知ることが出来る。 この橋がいつごろ現在のような屋根の付いた鞘橋となったか明らかにする資料が無いが、 江戸中期末頃に、描かれたと思われる高松御城図と題する城だけの図には、 屋根の付いた橋があり両側に腰板を付けている。(史跡高松城跡鞘橋修理記より)

鞘橋から

【左&真ん中】鞘橋から内苑御庭。内堀の色がきれい(^^)
【右】鞘橋から天守台。格好良かった♪

本丸虎口

【左】本丸虎口を鞘橋方面。
【右】本丸虎口の石垣に付けられたマークに気付いたら、刻印もあった! マークは、工事用みたい(^^)

本丸跡 ・ 矩(かねの)櫓跡

【左】鞘橋から矩(かねの)櫓跡。
【右】(切り取り加工)本丸側から。

本丸跡 ・ 地久(ちきゅう)櫓跡

【左】こじんまりとした本丸跡。
【真ん中&右】地久櫓跡。工事中だった。外から見てみると、線路手前までの大規模な工事だった(^^;)

天守閣跡

生駒氏の頃は三層四階の天守だったが、松平氏時代の寛文9年(1669)頃に、三層五階に建て替えられ、瀬戸内海にその威容を誇っていた。 明治17年(1884)老朽化により取り壊され、その跡に松平頼重を祭った玉藻廟が明治35年(1902)に建てられた。 高松市に譲渡された後、御神体は移され、現在は建物を残している。(案内板より)

今回(2007/5/1現在)は工事中で、天守台には何も無い状態。

【左】案内板の発掘調査写真。
【真ん中】艮櫓跡いある説明板。「高松城および城下町江屏風(江戸時代初期)に描かれた天守閣」。

高松城 2007.5.1記

天気予報では雨だったのに、朝から晴れ(^^)城廻りにはとってもありがたい天気になった♪ 艮櫓の近くの駐車場へとめて、旭橋から散策。青空に映える格好いい艮櫓を見て枡形へ。 大きな石に凄いって思ったけど、桜御門跡の赤黒い石垣も、迫力を感じた! それにしても、堀の色がきれい(^^)空が反射して青色、日差しが反射してエメラルドグリーン。堀だけでも 楽しめる。鯛もいっぱい泳いでいるし(笑)この時、天守跡が工事中で近寄れなかったけど、 素敵な石垣が見れて良かった。ビックリしたのが、県民ホールの下の東の丸跡の石垣!! 配慮して作られているのが凄い!お城に対する配慮がとても素敵(^^) 気になるといえば、フェリー乗り場の櫓。遠くから見ると、立派な月見櫓といい感じに見えるから面白い(^^) 石垣、櫓、堀など見所がたくさんで、のんびりと散策できる素敵な城跡だった♪

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