この場所には、蜜柑丸と称する腰曲輪があり、蜜柑が植えられていたためこの呼び名がある。 後には御宝蔵が設けられた。(久留米市の碑より)
蜜柑丸跡は、駐車場になっている。
【左】写真右側の石垣上が月見櫓跡で、横に本丸へ向かう東御門跡への石段がある。
【右】左の写真の左側。上部の石垣が、巽櫓跡。高石垣に段石垣が格好いい!
【左】左上と同じだけど、道も一緒に。奥へ進むと艮櫓跡の石垣が見られる。
【真ん中】本丸から見下ろして。
【右】蜜柑丸の東側の水堀跡(グラウンドの半分奥)。
【左】蜜柑丸から本丸の石垣を見上げて。迫力ある♪
【真ん中】見下ろして。手前側は、意外と斜めになっていて、とめにくかった(笑)
【右】本丸上と蜜柑丸、水堀跡を。
【左】駐車場がある蜜柑丸から本丸への石段。急な石段と高石垣が格好いい!
【右】右折れになった所を振り返って。写真左側が月見櫓跡、右側が本丸の石垣。
【左】右折れ前から蜜柑丸方面。
【真ん中】本丸の石垣が荒々しくていい。
【右】東御門跡方面。写真右側の月見櫓跡の石垣横の小さな玉石が不思議。
【左&真ん中】本丸側から。礎石のようなものが見られたけど、どうなのかな?
【右】月見櫓跡から見下ろして。
東御門近くに位置し、三層建てとなっている。(碑より)
【左】本丸の東側。写真右側が東御門跡、正面が月見櫓跡。
【真ん中】写真右側が東御門跡で、南方面を。
【右】北方面。
【左】月見櫓跡から東側。グランドの半分奥は、水堀だったみたい。
【真ん中】月見櫓跡から蜜柑丸を見下ろして。
【右】艮櫓跡側から。
【左】蜜柑丸跡から東御門跡への石段側から月見櫓跡の石垣を。素敵!
【右】左の写真の右奥(艮櫓側)から。
【左】聖徳太子像がある所から奥が月見櫓跡。
敏達3年(574)用明天皇の弟一皇子として今の奈良県明日香村にお生まれになり、 推古天皇の皇太子・摂政として大化の改新を進め、冠位十二階・憲法十七条を制定。 この憲法の主旨は日本人の心に深く浸透し、日本独自の精神文化の核と成りました。 台座の文字「以和為貴(やわらぎをもってたっとしなす)」は憲法十七条の弟一条の冒頭の句であります。(案内板より)