兵庫県 姫路城 |
■姫路城(別名=白鷺城) 入城料金=大人600円 入城時間=9時〜16時(閉門17時) (5月〜8月) 9時〜17時(閉門18時) 休城日 =12/29〜12/31 駐車場=近辺の有料駐車場(多々あり) 大手門駐車場他、地下駐車場も有(2007.8.11現在) |
住所=兵庫県姫路市本町68番地 この時は、第二神明〜国道2号の姫路バイパスを走ったので、 姫路東ICで下りて、右の御着方面(2号方面)の国道312号へ。 高架をくぐって、少しして御国野で国道2号へ左折。 城の案内板が出て、下寺町信号で国道372号へ右折。 少しして壱丁町信号を左へ。その先を進んで行くと、 右側に姫路城。姫路城前信号を過ぎて、少しすると左に有料駐車場あり。 |
天守と桜門橋と石碑 | ||
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■姫路城大手門と桜門橋… 姫路城の大手門は、本来三重の城門からなり、 城内では最も格調高くかつ厳重な門だった。 現在「大手門」と呼んでいる大型の高麗門は、 昭和13年(1938)に完成したもので、位置や大きさは 江戸時代のものとは全く異なっている。 また、大手門前の内堀には桜門橋という木造橋が架けられていた。 今回復元した桜門橋は、発掘調査で出土した遺構を 活かしながら、江戸時代の木橋をイメージして 平成19年(2007)に築いたものである。 (案内板より) |
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桜門橋 | 内堀と三の丸の石垣(左=武蔵野御殿跡) | |
反対側には、お土産屋さんやお食事処が建ち並んでいるので、 見学の前の腹ごしらえが出来てよかった(^^) | ||
天守と姫路城碑 | 大手門 | |
ドーンと大天守(^^)城址碑と一緒に。この大手門は、 上で紹介したように、昭和のもので、形も位置も違うもの。 | ||
大手門横の三の丸石垣 | 三の丸(向屋敷跡) | 姫路城石碑(2003.8.10撮影) |
お盆休み&お昼だけあって、姫路城石碑の周りには人がいっぱい!! さすがに写せなかったので、以前のものを。 | ||
三の丸(武蔵野御殿跡) | ||
姫路城第21代城主本多忠政の嫡子忠刻、千姫夫妻が住まいしたこの御殿は、
伏見城から移されたもので、桃山時代の美術の粋を極め、建物の戸、
襖は全て金箔で「すすき」の絵が描かれていたところから、武蔵野御殿
の名で呼ばれていた。この華美を極めた建物も、忠刻の死後、千姫が
徳川家に戻ってからは住む人も無く、荒れるにまかせ、自然破損の状態となり、
宝永時代(1704〜1710)までは、その旧跡も認められたといわれるが、
今ではその面影を見ることはできない。(案内板より)
(写真右奥に写るこんもりした部分は、 右下の写真部分。少し崩れ気味。) |
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三の丸(本城跡) | 三の丸(本城跡)の土塁類 | |
武蔵野御殿跡から一段高くなっている本城跡へ上がると、 周りにこんな土塁&石垣が。今は、千姫ぼたん園。 | ||
三の丸(本城跡)から内堀 | 三の丸(本城跡)の土塁 | 西の丸の遠景(2003.8.10撮影) |
(真ん中)土塁の高さから本城跡が高い位置なのが分かる。 (右)西の丸を。新しく写すのを忘れてしまった…(^^;) | ||
旧西大柱 | ||
ここに展示しているのは旧西大柱で、この柱は、かつて 大天守の地階床から六階床までの各階を、もう1本の 東大柱とともに些(いささ)かの躊躇いもなく力強く貫き通し、 1本が100tもの重量を支えて350年もの長きに亘り、 大天守を守り続けてきた。 然しその間、両大柱とも明暦2年(1656)(城主 榊原忠次)に、 柱や土台などの腐朽で、床面に高低が生じ、このため大柱の 根元を高さ2.4m、柱四面の間仕切り部分を刳(く)り抜き、ここに 幅36cmの奥行もほぼ同じ大きさの栂(つが)の角材を挿入し、 帯鉄巻き鋲釘止めで固定するという補強工事が行われた。 その後、貞享4年(1684)には、先の明暦2年に行われた 修理材の上に補強材を加える工事が行われた。 このように築城後、350年を大天守と共に歩んできた西大柱が、 昭和大修理(昭和31年〜39年)で、柱真に腐れの あることが分かり、取換えを余儀なくされ、新しい柱に後事を 託して、今ここに創建材の資料として展示している。 (案内板より) |
天守群(右=2003.8.10撮影) | |
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(左)青空に白壁が映えて素敵!!! (右)姫路城石碑付近からだとこんな感じ。ちなみに、この時は夕方撮影。 | |
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