帯の櫓 | ||
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この辺りは、天守を人にたとえると帯の位置にあたるので、
「帯曲輪」という。帯の櫓は、北・東部の物見櫓と南側の
数奇屋風建物の2棟を続けて、1つにまとめられた建物である。
南棟は、三室に仕切られ、西室は天井に湯気抜きの簀子(すのこ)を
張った水屋になっており、茶の点前の間であったと思わせる建物である。
(案内板より)
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帯郭櫓(腹切丸) | ||
この櫓の南側は、深い濠が入り込み、山際に迫っているが、濠を
渡って来る敵を、棚の上の狭間から攻撃できる。
いつの頃からかこの曲輪は「腹切丸」とも呼ばれているが、
実際にはこの櫓で切腹が行われた事はないと思われるが、
生い茂る木立による薄暗い雰囲気と、あたかも石打棚が検死役人の座、
下の板場が切腹場、前にある井戸の水で首を洗うように見えるため、
このように呼ばれている。
(案内板より)
右上の写真から下りて突き当たりが、帯郭櫓。 腹切丸とは凄い名前(^^;) |
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太鼓櫓(真ん中=上から) | りの門(内側から) | |
帯郭櫓からまた帯の櫓へ戻って、上山里曲輪方面へ。 (左=写真の右に写るのがりの門。右=すばらしく逆光!) | ||
りの門(外側から) | りの門(外側から)&太鼓櫓 | 上山里曲輪から備前丸 |
りの門から上山里曲輪へ。ここは播州皿屋敷の お菊井戸がある場所。あんまり、近付きたくないかな〜(^^;) | ||
チの櫓(左端)〜リの一渡櫓〜リの二渡櫓〜ぬの門(内側) | ||
こんな感じでずら〜っと続いている櫓。パノラマっぽく出来るといいんだけど…(^^;) | ||
ぬの門(外側&内側) | ||
城内で唯一の三層の櫓門で、扉は木部を全て黒鉄張りにし、 太鼓鋲で止めた頑丈な門である。上部には隠し石落しがあり、 門に入るものを監視し撃つことができるようになっており、 備前丸へ向かう重要な門であることが伺える。 この門を通って御殿へ行く道を下道といい、「はの門」から 「に」「ほ」の門を通って、天守へ登る道を上道という。 この門の金具をはじめ、姫路城に使われた金具は、播磨の 鍛冶師で有名な芥田五郎右衛門が一族と共に鍛えたものである。 今も近くに五郎右衛門屋敷とか鍛冶町、金屋町という町名が その名残をとどめている。 (案内板より) | ||
扇の勾配 | 二の丸・をの門 | |
姫路城では、天守台をはじめ主要な櫓台や高い石垣は
「扇の勾配」の積み方をしている。この勾配の特色は、
石垣の傾斜面を内側に扇を開いた形に湾曲させているもので、
こうした傾斜をつけることによって、石垣を高く積むことが
できる。勿論、石を高く積むだけではなく、石垣の内側に
含む水や土の圧力で、崩れやすくなるのを防ぐねらいも
あった。このことは、攻め手がよじ登るのを防ぎ、
一石二鳥の効果を持っている。
(案内板より)
←本当に勾配がきれい!しかもでかい。 |
るの門に行く途中に見えた二の丸への「をの門」。 遠く見える石垣の部分。 | |
るの門 | ||
この門は、正規の通路から外れた位置の石垣に穴をこしらえ、
その通路が目に付かないようにした一種の抜け道で、
姫路城特有のものである。他に、帯の櫓から帯郭櫓に通ずる
ところにも穴門がある。(案内板より) 源氏車の紋がきれいに並んでいるので、気持ちがいいなぁ〜と(^^) |
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三国堀 | 天守閣礎石 | |
姫山(天守のある本丸)と鷺山(西の丸)の間の谷部分に
設けられた堀。菱の門からのルートの制限や溜池の機能がある。
三国堀の名前は、池田輝政の領国の播磨・備前・淡路の三国に由来。
石段に刻印を見つけた(^^) |
管理事務所近くにあった礎石。 写し方が悪くて、説明板が読めず(TへT) | |
■姫路城…2007.8.11記
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