【姫路城 その5】

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備前丸(池田輝政の居館跡)&天守
ここは、この天守を築いた池田輝政の居館があった所である。 備前丸と呼ばれるのは、輝政の二男忠継が備前国を与えられたが、 幼少であったので、ここに住んでいた為といわれている。 東北隅の入口、備前門の内側に御台所、御対面所、上台所、 回家のほか、二層櫓4棟、折廻櫓、長局などが建ち並び、西方にあった 渡櫓から水四門を経て、天守へ出入りしていたといわれる。 これらの建物は、明治15年に失火で焼失し、備前門と折廻櫓だけが 昔の名残をとどめている。(案内板より)
天守へ… 水二門(外側から) 水三門(外側から)
この階段を上がって天守方面へ。 奥行き感が好き〜♪ 狭くてこじんまりの埋門。
水三門(内側) 水四門(外側&内側から)
いつまで続く?みたいな(笑)それにしても、水四門の内側の 壁って、かなりヒビがいっているんだけど…。
水五門(外側&内側から) 水六門
門扉に鉄板が張られ、威圧感を醸し出してる水五門。 中へ入ると、水六門が。これでようやく門は終わり。
西大柱(地階で) 釘隠
木製黒塗りの釘隠で、地階から5階まで各階長押(長押)に 493個の六葉(ろくよう)釘隠と152個の饅頭釘隠が取り付けてあり、 最上階(6階)の釘隠は金箔押しの六葉飾り金具打ちである。 (案内板より)
(左)地階はとにかく暗い〜(^^;)
(右)金箔押しも写せばよかったな。
敷居 東大柱
とにかく凄い威圧感の扉! 家とは比べ物にならない太さ! どうしても人が写っちゃう〜(^^;)
ロの渡櫓 乾小天守 ハの渡櫓
展示物を見ながら板の間を進み、ハの渡櫓で靴に履き替える。 その奥は西小天守だけど、壁の文字を見るだけ(笑)
天守からの景色
(左)南西、菱の門〜西の丸、(真ん中)西の丸、 (右)西。微妙に、パノラマっぽく加工してみた(^^;)
(左)東、(真ん中)南東、 (右)南、手前=備前丸、真ん中=上山里曲輪、奥=三の丸で、左上の写真の左横。
城の縄張り
近世の姫路城は、外堀と土塁によって城下町全体が 囲まれていた。これを総構えといい、この内側が 近世の姫路になる。層構えの内部は、身分によって 住む場所が決まっていた。町人は外郭(外曲輪)に、 武士は中郭(中曲輪)、藩主は「御城」と呼ばれた 内曲輪に住んだ。この模型では、「姫路侍屋敷図」 (酒井家時代)を参考に、総構えの縄張を復元的に 製作し、植生や現存しない構造物は、全て想像による 製作である。 姫路市外は、城下町を基礎に発展した。鉄道は総構えを越えて 城下町に入ることが出来ず、外曲輪の南に接して敷設されたので、 JR姫路駅は旧城下町の南端にあたる。また、山陽電車は 当初、不要となった総構えの土塁と堀を利用して、一部の 線路と姫路駅舎の敷地としていた。 (案内板より)
鯱&瓦&展示物の瓦(2003.8.10撮影)
■鯱… 大天守閣には、11尾の鯱がある。これは火災除けのまじないの為 つけられたもの。修理前に西大千鳥棟にあった最も古い貞享 4年(1687)の刻名のある鯱を擬して復元したもので、高さは 大棟の鯱で1.85mある。(案内板より)
■城主の紋瓦…屋根の鬼瓦や軒丸瓦には、築城した城主や修理した城主の 家紋を彫った瓦を使っている。

これは一部で、他にも城主の紋瓦が
使われているので、瓦を見るのが面白い→
修理した城主の家紋の入った瓦が、
まとまりもなく使われている(^^;)

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