トロとまったり・tripのページ(高知城 その3)

三の丸から二の丸へ

【真ん中】左折れになる前に(左上の写真を上がってから)、振り返って。
【右】左折れに行くと、二の丸詰門跡。

【左】左上の写真の石段から振り返って。天守と石垣が、格好いい〜(≧▽≦)
【右】天守から見下ろして。

二の丸

本丸の北、三の丸の西上方に位置するこの二の丸は、三の丸より約8m高く、標高約40m、外輪の長さ270m、 総面積4,128uの台地である。 ここに建てられていた二の丸御殿は、政務をとる表御殿と日常の生活をする奥御殿が連続して建てられており、 一部2階建てになっていた。総面積は、1,233uもあった。 明治6年(1873)公園化にともなって全ての建物が撤去されたが、現在残る築山は、 奥御殿の上段の間に藩主が着座した時、正面に見える位置にあたっている。 二の丸はこの他、目付役所や数奇屋櫓、家具櫓、長局、二の丸乾櫓などの建物があった。 北側の一段下がった所に、水の手門があり、綿蔵・綿蔵門を経て、城八幡方面や北門の方に通じていた。(案内板より)

【左】見えにくいけど、写真左に築山。
【真ん中】本丸方面。手前から、詰門、廊下門、天守。
【右】春だけど、秋っぽい雰囲気に。

旧家具櫓跡
水の手門跡
数奇屋櫓跡

■旧家具櫓跡…南北に長く下層の多聞造りに櫓をおき、 窓は階上階下とも設けられ、漆喰塗りの18坪の建物であった。(案内板より)
■水の手門跡…二の丸の北に位置し、非常口と考えられている。礎石に柱穴の跡が残っている。(案内板より)
■数奇屋櫓跡…三方窓で漆喰塗りの2階建10坪余りの建物であった。展望と伏射に利用した。(案内板より)

西北隅の二の丸乾櫓跡へ
乾櫓跡
下には獅子の段(梅の段)

城内の8棟の櫓のうち、唯一三階建てで、二階と三階の屋根には飾りの千鳥破風を配し、小天守のようであった。(案内板より)

詰門

【左】二の丸側から。

詰門は、本丸と二の丸の間に設けられた空堀を、跨ぐ形で建てられており、橋廊下という旧名がある。 階上が登城した武士の詰所となっていたため、現在は詰門と称している。 東の出入口は右寄りに設け、西の出入口は中央に付けられていて、筋違いになっている。 これは、攻め上がってきた敵が、容易に通り抜けられないようにという、防衛上の配慮によるものである。 また、東からこの門を突破しても、容易に本丸には行けないようになっている。 一階部分の南寄りは、籠城のための塩を貯蔵するようになっていた。中二階部分は、窓も無く物置であったと考えられる。 二階は二の丸から本丸への通路でもあり、内部の3室を畳敷きとし、家老・中老・平侍と身分に応じて詰める場所が定められていた。 板の間の東南隅には、非常の場合の階下への抜道が設けられている。また、東面に3ヶ所、西面に5ヶ所の隠し銃眼も設けられている。 (案内板より)

【左】天守から。左が廊下門、右が詰門、下に長い東多聞。
【右】三の丸の三の丸門跡からで、石垣の奥に見えるのが詰門。

詰門(二の丸より)から本丸へ

【左】二の丸からだと、こじんまり。
【真ん中】中を通って、廊下門へ。
【右】左の写真の右の鬼瓦。耳がピッ!

詰門(下から)

【左】鉄門から上がって西側。右上が入口。
【真ん中】西の獅子の段(梅の段)から。
【右】左の写真の左側の石垣。

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