備中櫓は本丸御殿の南西端に位置し、その名は鳥取城主備中守長幸に由来すると伝えられる。 森藩時代の基本的な史料である「森家先代実録」には「備中矢倉 池田備中守長幸入来之節出来」とある。 森忠政は長女於松(おまつ)を池田備中守長幸に嫁がせており、長幸は忠政の娘婿にあたる。 その長幸が津山城を訪れるのを機に完成したのが、備中櫓であったと考えられている。 備中櫓跡の発掘調査で池田家の揚羽蝶紋の瓦が出土した事も、この建物が池田家と深い関係にあったことを物語っている。 備中櫓の外観は漆喰仕上げで通常の櫓と同様だが、本丸御殿指図には備中櫓がその東に接続する長局・到来櫓とともに描かれており、これらの建物が御殿の一部として認識されていた事を示している。 さらに指図によると内部には御座之間や茶室を備え、建具には「唐紙」を用いるなど、内部は完全に御殿建築であり、なおかつ繊細で女性的な仕上げであったことがわかる。 その為、この櫓は、本丸御殿の最奥部という位置からしても、城主にごく近い間柄の女性もしくは城主自身の生活空間の一部として用いられたと考えられている。 (案内板より・古写真・絵図も)
【左】二の丸から見上げて。どっしりとして格好いい。
【右】本丸側から。
【真ん中】鬼瓦は鶴丸紋。
【右】揚羽蝶紋も。
お盆の(8月12日)夕方のせいか、貸切状態(^^)3本立てのビデオを、の〜んびりくつろぎながら見ることが出来た(^^)
ビデオで紹介されていた通り、色いろな場所にある鶴丸紋。ここにも!って堪能して回った♪引出も鶴丸紋!
【左】備中櫓二階「御上段」。
【真ん中】壁にも鶴丸紋。
【右】釘隠しにも鶴丸紋。
【右】どこにあったっけ…。撮影時間からすると、備中櫓の付近だったような…。
【左】備中櫓側から天守方面へ五番門から入り、食い違っている石垣横を通って行くと、
右に天守台の石垣が見えて、その右側(左下の写真の右に写る石垣との間)に六番門があった。
【右】天守台から。五番門と六番門はコの字型。左下の石垣は、六番門跡。
【左】五番門跡から食い違っている石垣横を進んで、右折れで天守台。正面の天守台と右側の石垣の間が六番門跡。
【真ん中】六番門跡。
【右】逆からで、写真右側へ進むと六番門跡。
■天守入り口…石段の上に門を構えて枡形の二方を土塀で囲み、穴蔵の入口を鉄扉で締め切っていた。(案内板より)
【左】左側が本丸と天守曲輪の間の石垣。写真正面に見えるのは備中櫓。
【右】天守台入口。
弓狭間・鉄砲狭間・石落し等の備えを持ち、唐破風・千鳥破風等の装飾の無い実践的な五層の天守閣がそびえていた。(案内板より)
【左】石段を上がって穴蔵へ。
【右】上から穴蔵を。
天守台からの景色。【左】南側。【真ん中】西側。【右】北側。
【右】多聞櫓跡から。写真右奥が六番門跡。
【左】天守曲輪をぐるりと囲んでいた多門櫓跡。 見晴らしがとてもいい(^^)
【右】凄くきれいな石垣の曲面(^^)
天守曲輪の北にある門。残念ながら行く事は不可能(^^;) そこから右へ行くと八番門で正門だそう。
■天守曲輪正門跡…二つの門を鍵の手に組んで、二階を左右の武者走りへ通じていた。(案内板より)
【左】天守台から長櫓跡(左側)と八番門跡。
【真ん中】本丸側から八番門跡。
【右】本丸側から長櫓跡。