正面の石垣と通路を挟んだ左側の石垣(現在は石垣が崩落し、土塁状となっている。)との間に二ノ門があった。 二ノ門は階下に門、階上に長屋をのせた櫓門で、両脇の石垣上にはその長屋に接して塀を廻らせていた。 記録には「渡門」「廣サ 二間 三間 四方」とある。 この門をくぐると高い石垣で方形に囲まれた空間が設けてあり、進路を阻む構造となっている。 これは敵の侵入を封じ込めるとともに出撃の際に兵を待機させる等、攻守に強固な機能を備えている。 この様な出入口を一般に桝形虎口と呼び、近世城郭を構成する要素の1つとされている。 浜田城では本丸の正面に位置するこの二ノ門にしか、この様な構造を採用しておらず、重要な城門といえる。 (浜田市教育委員会の案内板より・絵図も)
【左】三丸側から二ノ門跡。格好いい石垣〜♪
【右】二丸側から桝形を。奥が引っ込んでいて面白い。
【左】三丸側から二ノ門跡。左側の石垣が崩落、土塁に。 二ノ門跡を過ぎたら、左折れで二丸へ。右奥の引っ込んだ部分はここからだと分からない。 (絵図=浜田市教育委員会の案内板より)
【左】少し進むと、右側の石垣が切れるので、アレ?と思ったら、引っ込んでいるなんて!面白いなぁ(^^)
【真ん中】桝形側から二ノ門跡を振り向いて。
【右】真ん中の写真の左の石垣。
【左】桝形を通って左折れで、二丸へ。
【真ん中】左の写真の右側の石垣。
【右】二丸側から、二ノ門方面。
【左】本丸から、二ノ門跡方面。
【右】本丸から見下ろして。
【下】(パノラマっぽく加工)
手前が二丸。石垣が本丸。案内板横の石段が一ノ門、石段の右側上は六間長屋跡。
【左&真ん中】少し、パノラマっぽい感じで。
【右】左の写真を左側から見たもの。