トロとまったり・tripのページ(名護屋城 No.9-2・三の丸-2)

三の丸

【左】三の丸の案内板の「肥前名護屋城図屏風(部分)」より。(2013/6/19撮影)

■三の丸…本丸より1段低い所に位置する東西34間(68m)、南北32間(124m)の曲輪である。 現況では玉砂利敷や礎石と考えられる石が認められる。また、城内の高台では唯一の井戸跡が残っている。 肥前名護屋城図屏風には、殿舎や公家風の人物が描かれ、当時の三の丸の様子がうかがえる。 大手口から本丸に通じる重要な曲輪で、本丸周辺を警護する侍が詰めていた場所と考えられる。 平成3年度(1991)に砕石を補充し、仮園路の整備を実施した。(案内板より)

【左】水手口の案内板より。(2017/8/17撮影)
【右】三の丸南東隅櫓の案内板より。(2013/6/19撮影)

【パノラマっぽく加工】三の丸から本丸大手口。パノラマにせずにいられないほど、格好いい(^^) 写真真ん中の本丸東側の石垣の下(低い石垣の上)を右へ進むと、三の丸の北側にある曲輪へ。(2013/6/19撮影)

【パノラマっぽく加工】三の丸から大手門跡方面で、写真中央から左が本丸南東付近の石垣。写真左端が三の丸の櫓台。 見とれるほど素敵な石垣〜(^w^)作業中とはいえ、車がちょっと残念だけど…。(2013/6/19撮影)

【左】三の丸から本丸東側の石垣を見つつ、三の丸の櫓台と門跡方面へ。(2013/6/19撮影)
【右】三の丸から三の丸の櫓台と門跡方面。(2013/6/19撮影)

【左】三の丸から本丸東側の石垣。清掃作業の方の車の奥が三の丸の櫓台。(2013/6/19撮影)
【右】名護屋城址三ノ丸の碑。写真右側に写るのは清掃作業の方の車。この付近は、車や作業アイテムが写り込む事が多くて(^^;)(2013/6/19撮影)

【切り取り加工】三の丸と井戸跡。写真中央奥が旧石段と新石段、三の丸南東隅櫓台方面。(2013/6/19撮影)

【切り取り加工】三の丸と井戸跡(写真右側)。(2013/6/19撮影)

【切り取り加工】三の丸側から。写真左前方が三の丸の上段、写真右前方が北東隅櫓台方面。(2013/6/19撮影)

三の丸の井戸

■三の丸の井戸…名護屋城内では当時のものと考えられる井戸が、各所に発見されているが、三の丸の井戸はその中でも最も高所(標高76m)にある。 現在の深さは地面から2m程だが、後の時代に埋められている為、当時どの程度の深さであったかは不明である。 三の丸はそのほぼ全域が盛土である為、湧水の深さまで掘っているとすれば、かなり深いものと推定される。 井戸は自然の割石を積み上げた石組で造られているが、その平面形は南北1.9m、東西1.3mの楕円形をなしており、名護屋城や陣跡で発見されたその他の井戸ではみられない特徴である。 また、石組に崩壊の危険性があった為、南西側の一部を解体修理したところ、井戸の石材は表に見えている大きさよりも2倍から3倍の奥行きがあり、さらに奥に向かって石尻を下げることで崩れにくく造られていた。 井戸は城にとって水の確保の重要なものであり、城内では江戸時代以降の物も含め、多くの井戸がみられる。 現在、その分布は城域の南東側(三の丸・大手口)、北東側(山里丸)、北側(水手曲輪・台所丸周辺)に限られるが、江戸時代後期の絵図では、西側の二の丸にも井戸が描かれている。(案内板より)

【左】三の丸の井戸。(2013/6/19撮影)
【右】三の丸の井戸に近付いて。緑で覆われて…。(2013/6/19撮影)

▲上へ戻る