さがけん なごやじょう
■名護屋城
■名護屋城博物館(入館無料※特別企画展は有料)
開館時間=9時〜17時
休館日=月曜(休日の場合翌日)、年末年始。
駐車場=無料駐車場
【撮影日】2019(1/3、1/4)、2018(1/4、1/5)、2017(8/16、8/17)、2013/6/19。
【左】名護屋城博物館内の休憩所からの遠景。(2013/6/19撮影)
2013/6/19現在
住所=唐津市鎮西町名護屋
この時は、名護屋大橋側から国道204号を西へ進み、
名護屋城跡信号を過ぎた大手門信号で右折(名護屋城、名護屋城博物館へ)。
■名護屋城跡と文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)… 今から約400年前、全国統一を果たした豊臣秀吉は、朝鮮半島と中国大陸をも侵略しようとして、天正20年(1592)〜慶長3年(1598)にかけて、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱…じんしん・ていゆうわらん)を起こした。 この時、秀吉が配下の諸大名に命じて出兵基地として築かせたのが名護屋城である。 当時の史料から、築城は天正19年(1591)10月より始められ、秀吉が名護屋に着陣した天正20年(1592)4月には、ほぼ完成していたものと考えられている。 また築城にあたっては、黒田孝高(官兵衛)が縄張り(設計)を行い、加藤清正・黒田長政・小西行長など秀吉直属の武将達の指図のもと、主に九州の大名達が分担して石垣を築いたとされている。 名護屋城は、文禄・慶長の役の後、唐津城の築城(慶長7年(1602)〜)に伴って建物の部材や瓦等が運び出された他、一国一城令、島原の乱等を契機に石垣等も壊され、現在では天守・櫓などの建物は残っていない。 総面積約17万uに及ぶこの居城と各地から参集した大名の陣屋の跡は、「名護屋城跡並びに陣跡」として、国の特別史跡に指定されている。 特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、安土桃山時代の文化、建築、生活等を知ることのできる貴重な文化財であると共に、日本と東アジアの国々との不幸な出来事を語り伝える歴史の証人でもある。 当時では大坂城に次ぐ規模を持っていた名護屋城の構えは、基本的に3段の渦郭式といえるもので、天守台のある本丸を中心に二の丸、三の丸、弾正丸、東出丸を置き、北方下段には遊撃丸、水手曲輪、さらにその下段に山里丸と台所丸を配置している。 門は、大手口他5ヶ所あり、北面には通称鯱鉾池といわれる堀も渡している。(佐賀県立名護屋城博物館の案内板より)
【2枚】写真をクリック→拡大。
【左】水手口の案内板より。(2017/8/17撮影)
【右】この案内板は、読み方のローマ字が誤字脱字があるので注意(^^;)(2017/8/17/撮影)
【2枚】写真をクリック→拡大。
【左】大手口付近の案内板より。(2013/6/19撮影)
【右】水手口付近の駐車場の案内板より。(2017/8/17撮影)
【切り取り加工】加藤嘉明陣からの遠景。本丸の北〜北東方面。写真中央上部が本丸。(2019/1/4撮影)
【切り取り加工】上記と同じ、加藤嘉明陣からの遠景。(2019/1/4撮影)
【切り取り加工】風の見える丘公園から。写真中央が呼子大橋、写真右側の白い建物の上部付近が名護屋城。(2013/6/19撮影)
名護屋城 2013.6.19記
想像していたよりも凄く広くてビックリ!高さがある石垣が長く続く姿は圧巻(^^)♪ いろいろな場所に石垣があるし、それぞれに特徴があって、曲輪を1つ1つ散策するのが凄く楽しかった〜(^w^) まだあそこも…なんて思う所もあるけどキリが無いし、この後の予定もあるので今回はここまで(^^;) 機会があれば、太閤井戸が見てみたいな。 ところで、名護屋城博物館は無料で、名護屋城の模型や名護屋城の説明、 他にも興味深い展示物が見ることができて楽しめた♪ ちなみに、名護屋城博物館、木下延俊陣跡も含め、見学時間は約2時間35分。