【備忘録】上山里丸の案内板は、水手口付近のトイレのある駐車場に設置している。
■山里丸と茶室…山里丸は、豊臣秀吉が日常生活を送っていた所であり、名護屋城図(屏風)にも、豪壮な殿舎や月見櫓などの建物が多く描かれている。 その描写と一致する地点で、国内初となる秀吉の茶室跡を発見している。 一帯は山裾を取り込んだ自然な景観の中にあり、四畳半の小さな茶室を据え、その茶室の周囲に飛石・井戸・玉石敷・垣根・溝・排水暗渠などを置いている。 これらの状況は、茶室開きに招かれた博多商人の神屋宗湛(かみやそうたん)「日記」の記述ともほぼ一致しており、「四畳半の茶室は、柱その外をすべて竹で造っていた。 四尺五寸の床の下には道籠(どうこ…棚)」があった。 出入りは、躙口(にじりぐち)ではなく、二枚の障子を開けて出入りした。縁があり、手水石も置いていた。」ことがわかる。 つまり、ここには千利休の追い求めていた「侘び・寂びの草庵茶室」が茶道の弟子である豊臣秀吉によって、そのまま再現されていた事が見事に示されている。(案内板より)
【左】水手口の北東方面のトイレ。付近に案内板が設置されている。
このトイレは、茶室を意識しているのかな?(2013/6/19撮影)
【右】道路側からのトイレを。左上方が遊撃丸方面。(2018/1/5撮影)
【左】下山里丸〜上山里丸。(水手口の案内板より)(2017/8/17撮影)
【右】山里丸の茶室復元図(南東から)。(水手口の北東方面のトイレ付近の案内板より)(2013/6/19撮影)
【左】茶室平面図。(水手口の北東方面のトイレ付近の案内板より)(2013/6/19撮影)
【右】茶室発掘状況、北西から。(水手口の北東方面のトイレ付近の案内板より)(2013/6/19撮影)
【切り取り加工】水手口付近の駐車場に設置されていた案内板の「肥前名護屋城図屏風」より。(2017/8/17撮影)