トロとまったり・tripのページ(名護屋城 No.20-4・上山里丸-4)

上山里丸 ・ 寺の下付近(案内板)

■名護屋城跡 上山里丸の石垣〜豊臣秀吉上山里丸御殿の新発見石垣〜 平成22年度に発掘調査を行ったこの箇所は、現在の広沢寺の下段にあたり、通称「寺の下」と呼ばれている。 この発掘調査では、通路面に面した上山里丸の外郭を形成する石垣(No.546石垣:推定高6m)とその一段上にあたる石垣(No.522石垣:推定高6m)が確認されている。 確認された山里丸の石積みの特色は、基本的に野面石(自然石)を中心とした「野面積み」で、部分的に「矢(クサビ)」で割った割石が用いられている。 積み方は石材を横方向に並べる「布目積み」を基本としているが、石の目地が石材の大小によって布目(横方向の目地)が崩されている「布目崩し」の石積みとなっており、桃山時代の典型的な積み方の特徴がよくあらわれている。 特にNo.546石垣は、横長の石材を多用した安定感のある積み方であり、52度と極めて緩やかな勾配をとっている特色がある。 現在は破壊され、あるいは地中に埋もれているが、山里丸の外郭をなす石垣であることから、復元すると予想外に高い石垣であると想像され、秀吉の御殿周りの石垣として見栄えも重視した石垣であったと想像される。 なお、この調査で山里丸の北面が二段の石垣で構築されていることが明らかとなったが、これは「肥前名護屋城図屏風」に描かれた景観と一致しており、屏風図が当時の名護屋城の様子を比較的忠実に描いている事を改めて実感させるものとなった。 (案内板より)

【切り取り加工】上山里丸 391〜399トレンチ配置図と「肥前名護屋城図屏風」の上山里丸・本丸部分。(案内板より)(2017/8/17撮影)

【左】写真右上が上山里丸御殿推定地。道路沿いのトレンチ配置図は、左から394、393、392、391。(案内板より)(2017/8/17撮影)
【右】No.522石垣の検出状況(399トレンチ)。(案内板より)(2017/8/17撮影)

【左】上山里丸 No.546石垣検出状況(北東から)と犬走り部分の平坦面。(案内板より)(2017/8/17撮影)
【右】No.546の石垣の石積みの様子。(案内板より)(2017/8/17撮影)

上山里丸 ・ 寺の下付近

【切り取り加工】台所丸側から鯱鉾池を挟んで、広沢寺入口方面(写真中央付近)。(2017/8/17撮影)

【左】上の写真の左側のカーブ付近の石垣。(2017/8/17撮影)
【真ん中】左の写真を角度を変えて。(2017/8/17撮影)
【右】山里口側から広沢寺入口方面。(2017/8/17撮影)

【左】広沢寺入口側から山里口方面に進んだ所から奥方面。犬走りがあったよう。(2017/8/17撮影)
【右】山里口側から犬走りを見下ろして。(2017/8/17撮影)

【切り取り加工】上記付近(広沢寺入口側)から山里口方面へ。(2017/8/16撮影)

【パノラマっぽく加工】(※微妙な加工だけど自分用の備忘録として) 上の写真の中央付近の木の手前。(2017/8/17撮影)

【左】上の写真の左側の石垣で、左奥が山里口方面。(2017/8/17撮影)
【右】上の写真の所を見下ろして。この時は案内板が無かった。(2017/8/17撮影)

【左】写真左前方の石垣が上記の石垣、右が鯱鉾池。(2013/6/19撮影)
【右】右上の写真と同じ。木が無いバージョンも紹介。(2013/6/19撮影)

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