トロとまったり・tripのページ(名護屋城 No.18・水手通路)

水手口(水手口〜水手通路)

【左&右】(2枚でパノラマっぽく)水手通路を石垣側から。(2018/1/5撮影)

【左】水手口と名護屋城跡の碑。(2013/6/19撮影)
【真ん中】水手口から水手通路を上がって。(2013/6/19撮影)
【右】真ん中の写真の左前方に、名護屋城址碑が立つ。(2013/6/19撮影)

【切り取り加工】水手通路を石垣側から。(2019/1/4撮影)

【切り取り加工】上山里丸側から水手口方面。こちらからの水手通路の石垣も格好いい♪(2019/1/3撮影)

水手通路

【左】名護屋城跡水手通路石垣周辺平面図。(案内板より)(2013/6/19撮影)

■水手通路…本丸へ至る道筋は、三の丸から登る本丸大手と呼んでいる通路と、北側の城下町に通じる北の門と本丸北東虎口を結ぶ水手通路の2つがある。 この水手通路は、城外からどの曲輪も通らず、直接、本丸へ登ることができる点が大きな特徴である。 また、通路に沿った石垣は、天守台・本丸北側・遊撃丸等、城内でも重要箇所に見られる割石積みが主体で造られていることから、 この水手通路は、本丸大手側とは別の機能を持った特別な通路であったと考えられている。 佐賀県立名護屋城博物館では、この水手通路の整備を行う事で、往時の登城道を復元し、あわせて本丸周辺を巡る見学路の整備を計画している。 (案内板より・図も)

水手通路&遊歩道

【左】水手口から水手通路を進んで。この辺りから水手通路のよう。(2013/6/19撮影)
【真ん中】水手通路を進んで…。(2013/6/19撮影)
【右】真ん中の写真を進んで。案内板の当時の水手通路の場合だと、土嚢側へ右折れ。実際は上がれないので遊歩道を進む。(2013/6/19撮影)

【左】右上の写真の右側。当時の水手通路は、ここを上がって左折れのよう。(※実際は上がれないので、見上げただけ。)(2013/6/19撮影)
【右】左の写真の上がって左折れした先から当時の水手通路を振り返って。写真左側が本丸。(2013/6/19撮影)

【左】当時の水手通路を水手曲輪側から。写真左下の土嚢方面が遊歩道で、右上に上がって、本丸突き当たって左折れ。(2013/6/19撮影)
【右】本丸から水手曲輪の奥の水手通路方面。(2013/6/19撮影)

【左】当時の水手通路は行けないので遊歩道で。奥が三の丸や本丸等への分岐方面。(2013/6/19撮影)
【右】左の写真の奥から手前(遊歩道方面)。 写真左斜めの道が当時の通路で、左側の道が本丸へ。 右斜めが現在の通路で、手前が三の丸へ。(2013/6/19撮影)

【左】その後、水手通路で本丸北門方面へ。(2013/6/19撮影)
【右】左の写真の奥から手前。(2013/6/19撮影)

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