トロとまったり・tripのページ(名護屋城 No.25-1・太閤道-1)

太閤道 ・ 豊臣秀吉の道

【左】(写真をクリック→拡大)立花宗茂陣付近の案内板。(3枚=2019/1/3撮影)

■「太閤道」とは?
一般的には、「太閤」と呼ばれた豊臣秀吉が造った道、通った道の事を言う。 現在でも「太閤道(たいこうみち・たいこうどう)」や「関白道」と呼ばれる道が日本各地にある。
■名護屋・唐津間の「太閤道」
16世紀末、日本国内の統一を成し遂げた「天下人」豊臣秀吉は、次に大陸への侵攻=「唐入(からいり)」を実行した。 秀吉は、「唐入」の国内拠点名護屋と京・大坂間の物資輸送体制を整備し、駅制・通信に関する規定を定め、一里塚も築かせている。 名護屋・唐津間にも現在でも「太閤道」と呼ばれる道が断続的に存在し、復元すると総延長約16kmの道となる。 また、道の途中には3つの城戸を設けていたようである。
■「太閤道」の発掘調査
「太閤道」は、地域における主要幹線道路として長く道路の維持・管理が行われてきたこともあり、時期的な判断が困難な一面もあるが、 路面の砂利敷、側溝、側壁に石垣を構築している状況等が確認されている。

※名護屋城大手口近くの「太閤道」発掘調査状況。 路面の砂利敷・側溝・側壁に石垣を構築している状況等が確認されている。(地図、発掘調査の写真ともに案内板より)

太閤道 2019.1.3記

立花宗茂陣付近にも、案内板が新しく設置されていたから嬉しくなったけれど、以前と同様の内容だった(^^;)

太閤道 2018.1.5記

筑紫広門陣の見学の為に訪れて、たまたま太閤道の三の城戸を見つけた(^^)

太閤道 2017.8.17記

以前は無かった太閤道の案内板や小さな案内を見つけたので、とりあえず撮影。 太閤道を巡ると大変そうだし…(^^;)

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