トロとまったり・tripのページ(佐賀城 その3)

本丸・北西〜北側

【左】鯱の門をくぐり北西側。
【真ん中】鯱の門から天守台方面の北側。
【右】付近で、尻尾をピコピコ動かして歩いていたセキレイ。可愛い♪

本丸御殿

(パノラマっぽく加工)こんなに立派な本丸御殿が復元されるなんて凄いな(^^)

【右】襖。小さな紙を使って模様に!これだと張り替えも簡単(^^)

佐賀城本丸歴史館の建物は、第10代佐賀藩主鍋島直正が再建した天保期の佐賀城本丸御殿の一部を復元したものである。 本丸御殿の復元としては日本初、木造復元建物としては、日本有数の規模となる2,500uの広さを誇る。 (佐賀県立佐賀城本丸歴史館の案内板より)

御玄関

ライトアップされた御玄関も素敵〜♪

佐賀城本丸御殿の正面玄関として、佐賀藩の藩主や身分の高い特別な人物の出入りに使われた。 懸魚(屋根に取り付けた妻飾りの1種)など多くの彫刻で飾られたこの建物は、板床部分が上屋、 土間部分が下屋のように構造が分かれており、屋根瓦もそれぞれ本瓦と桟瓦の違いを見せている。 (佐賀県立佐賀城本丸歴史館の案内板より)

御式台

佐賀城本丸御殿への来訪者を最初に迎え入れる場所。 東西約10m・南北約36m・棟高約11.5mの建物は、外御書院に次ぐ規模を誇る。 大切な来客者の待機場所だった。(佐賀県立佐賀城本丸歴史館の案内板より)

【左】御玄関の背後が御式台。
【真ん中】外御書院側から。写真右に外御書院が続く。
【右】室内。

外御書院

佐賀城本丸御殿の建築群の中で最も格式があり、お世継ぎの披露など藩の公式行事が行われた。 東西約50m・南北約15m・棟高約12.5mで、国内最大規模の木造復元建築である佐賀城本丸御殿の中でも、 最も広い空間を有している。(佐賀県立佐賀城本丸歴史館の案内板より)

【左】凄く長い!
【真ん中】御三家座側から。
【右】気持ちがいい程の奥行き!右端は畳廊下♪畳廊下も写しておけばよかったなぁ…。

御三家座

左が御三家座、右が御小書院。御小書院で紹介した写真と似てるな…。

御三家(小城家・蓮池家・鹿島家)の名代と面会を行ったりする場所として使われた。 東西約5m・南北約13m・棟高約12.5mである。小城10代藩主鍋島直亮(なおすけ)が、 嘉永3年(1850)4月に家督を継いだ際、同年6月7日に父直堯(なおたか)の名代が御礼を述べに訪れ、 この場所で面会をしている。(佐賀県立佐賀城本丸歴史館の案内板より)

御小書院

左奥が御三家座、真ん中が御小書院、右が御座間。

御三家(小城家・蓮池家・鹿島家)との面談をはじめ、身近な側近との会議等が開かれた場所である。 東西約11m・南北約15m・棟高約10.5mの規模がある。 嘉永2年(1849)には、鹿島8代藩主鍋島直永(なおなが)の上京を祝って「能」が催された。 部屋を御簾や屏風で仕切り、燭台の灯りによって能を演出した。 また現在大晦日に佐嘉神社で行われている鰤祭も、もともとは御小書院で行われていた。 (佐賀県立佐賀城本丸歴史館の案内板より)

御座間

10代藩主鍋島直正の居室だった。
【左】本丸御殿内から。移築、再利用されていたのを、復元にあわせて本丸に戻ったそう。
【真ん中】室内。
【右】西南隅櫓跡からで、左奥が御三家座、中央が御小書院、右が御座間。

屯之間&御仕組所 //  御納戸と御料理間

【左】屯之間&御仕組所。白くて小さな三角部分が屯之間で、その右側が御仕組所。
【真ん中&右】御納戸と御料理間。
【真ん中】奥が御納戸で、手前が御料理間。
【右】真ん中の写真を御玄関側から写したもの。 写真左側が御納戸で、その右の低い所が御料理間。

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