■山里口の概要…豊臣秀吉は側室の広沢局らを召して、芝居・能・茶道にふけったが、それは主としてこの山里の一郭で行われたものと考えられている。
山里丸は、上・下2つの曲輪よりなっており、ここ山里口は上山里丸に通じる虎口の1つである。
昭和62年〜平成元年度(1987〜1989)の発掘調査により、門礎石・石段・玉砂利敷が新たに発見され、防御面を配慮した複雑な出入口である事が明らかになった。
■石垣修理の概要…山里口の石垣は、大小の自然石を組み合わせた野面積みの技法をよく伝えている。
しかし、この石垣も築城400年を経て、孕み・脱落・風化が著しく、危険になってきたために緊急の修理が必要になった。
石垣の解体修理は最小限にとどめ、その他に石段・玉砂利の補充、芝張等の保存整備工事を実施した。平成2年3月(佐賀県教育委員会の案内板より・古絵図、発掘調査図も)
【左】下山里丸、山里口、上山里丸。(水手口の案内板より)。(2017/8/17撮影)
【右】佐賀県教育委員会の案内板の「肥前名護屋城図屏風(部分)」。写真左下の枠の中央から右付近が山里口。(2017/8/17撮影)
【左】平面図の写真をクリック→拡大。(2017/8/17撮影)
【右】佐賀県教育委員会の案内板の「発掘調査状況」。(2017/8/17撮影)
【切り取り加工】北東側から山里口。(2017/8/16撮影)
【左】上の写真の右側の石垣。(2013/6/19撮影)
【右】左の写真の石垣を右奥から手前。(2013/6/19撮影)
【左】山里口を正面から。石段を上がって右折れに。ちなみに、白い建物の手前の植木付近に井戸がある。草でみえにくいけれど…。(2013/6/19撮影)
【右】左の写真の右側の石垣。(2013/6/19撮影)
【左】左上の写真の右折れ。写真左端に少しだけ井戸が写る。(2017/8/17撮影)
【右】左の写真の右折れから振り返って。(2017/8/17撮影)
【左】井戸を背後に、左上の写真の右折れを正面から。(2017/8/17撮影)
【右】左の写真の正面の石垣。(2013/6/19撮影)
【パノラマっぽく加工】(※微妙な加工だけど、自分用の備忘録として。)石垣群が格好いい!(2017/8/17撮影)
【パノラマっぽく加工】上の写真の右側の石垣付近から。少し角度を変えても素敵。(2013/6/19撮影)
【左】桝形側から井戸方面に振り返って。(2013/6/19撮影)
【右】左の写真と同じ。写真左側の道路沿いの石垣上を入れて(^^)(2017/8/17撮影)