太鼓櫓と太鼓門との間の24.41mの渡塀には、鉄砲狭間16ヶ所、石落し3ヶ所が設けられている。(案内板より)
【左】(切り取り加工)かなり後ろから撮影(^^;)
【右】内側から太鼓門西塀を。
太鼓櫓は巽櫓・太鼓門とともに同じ高さの石垣の上に築城され、大手に重要な防御の拠点となった。 二層隅櫓で、昭和10年に国宝に指定されたが、昭和20年10月に戦災で焼失した。 昭和48年3月に復元された。(案内板より)
【右】中ノ門跡付近から見上げて。石垣があると頼もしい♪
【左】中ノ門跡方面へ進みつつ遠景を。
【真ん中】戸無門と筒井門側から。
【右】内側は外側からは考えられないほど地味。
太鼓櫓から巽櫓まで一線上に構築され、大手からの侵入に対する重要な防御施設である。 太鼓門はその東端にある脇戸附の櫓門である。 昭和10年に国宝に指定されたが、昭和27年7月、戦災で焼失。 昭和47年2月に古い資料に基づいて復元された。(案内板より)
【左】写真の太鼓門南続櫓の下を右奥へ行くと太鼓門。
【右】左の写真から右奥へ向かった太鼓門。
【左】右上の写真と同じで、門扉部分を。
【真ん中&右】内側の桝形側から。
■井戸…南北2つの峰を埋め立てて本丸の敷地を作った時、この地にあった泉を井戸として残したと言い伝えられる。 直径は2m、深さ44.2m。城郭の飲料水として使用されていた。 上屋は昭和20年7月に、戦災で焼失したので、昭和27年3月に再建された。(案内板より)
【左】太鼓門北続櫓。
【右】手前が太鼓門北続櫓で、その奥が巽櫓。
太鼓門を防御する重要な拠点で、二層隅櫓である。 昭和10年、国宝に指定されたが、昭和20年、戦災の為焼失した。 昭和60年2月に、古い資料に基づいて復元された。(案内板より)
【左】北側から。石落しを石垣から出して、どっしりと乗ってる(^^)
【右】揚木戸門跡付近から、石垣越しに♪
【左】太鼓門外側付近から。少し離れて…と思うも、木が邪魔…(^^;)
【真ん中】内側から。
【右】(切り取り加工)左上と同じ北側から。
太鼓櫓とともに、二之丸方面を防衛する二層隅櫓。昭和9年国宝に指定されたが、昭和27年7月、戦災の為焼失。 昭和33年3月に鉄筋で復元された。今は、松山城防災施設の総合操作室として使用されている。(案内板より)
【左】馬具櫓側から。こうやって天守や櫓が眺められるなんて凄い(^^)
【右】(切り取り加工)小天守から。
【左】(パノラマっぽく加工)馬具櫓横から西の景色。
【右】二之丸史跡庭園から見上げて。左が馬具櫓、右が太鼓櫓。
松山城築城400年祭の時に登場した築城開始者加藤嘉明公をモチーフにした「よしあき君」が迎えてくれる♪ ちなみに、ロープウェイの駅舎にもいる(^^) いよいよ目の前に本壇が!よく見かけるアングルにテンション上がる!
左より小天守、大天守、二ノ門南櫓。 小天守と右側の櫓は別だけど、遠くからだと連結しているみたいだなぁ。 【左】この写真を1ページ目のトップにしたかったけど、どうしても赤い人が気になって…。 もう少し待てばよかった(TへT)