城郭の大手と搦手の仕切りをなし、この門の北側に紫竹が植えられていたのでこの名がある。 天明4年(1784)雷火の為、天守閣とともに焼失し、嘉永期の再建と見られる。 昭和10年国宝に指定されたが、昭和25年法の改正により、重要文化財となった。 昭和26年、46年、平成4年、5年に修理が行われた。(案内板より)
【左】高麗門が紫竹門で、左に紫竹門西塀、右が紫竹門東塀。
【右】筋鉄門東塀から、下に見える紫竹門を。
【左】紫竹門。
【真ん中】小天守下側が外側。
【右】紫竹門東塀。
【左】誰もいない桝形の方が素敵(^^)
【右】開門を待っている間、小天守を見上げて。
一ノ門が開門前は、桝形は人溜まりになっていた(笑) 小天守を見上げながら、今か今か…と城の説明を聞きながら待つ。 「加藤嘉明様のおな〜り〜。皆様のおな〜り〜。」ドンドンドンドン…と太鼓の合図で開門したら一斉に入城!!
脇戸附の高麗門で、本壇の入口になるのでこの名があり、木割りも豪放である。 二ノ門南櫓・三ノ門南櫓・小天守から射撃される構えとなっている。 天明4年(1784)雷火の為、天守閣とともに焼失し、天明6年(1786)再建された。 昭和10年、国宝に指定されたが、昭和25年法の改正により重要文化財となった。 昭和25年、43年及び59年、60年に修理が行われた。(案内板より)
【左】開門した一ノ門。
【右】開門前の一ノ門の前には、人がいっぱい。右側は、一ノ門南櫓。
【左】桝形から小天守方面。ちなみに、自分の背後には二ノ門南櫓。
【右】小天守から。四方からの攻撃!!よく考えれられてるなぁ(@@)
【左】左が一ノ門南櫓、右が二ノ門南櫓。
【真ん中】左が三ノ門南櫓、右が一ノ門南櫓。
【右】桝形から一ノ門南櫓。
【左】手前が一ノ門東塀。
【右】東側から。右側が二ノ門東塀。
【左】本丸の石垣下から南東側を。
【右】少し離れて見ても格好いい♪
本壇における第2番目の門で、薬医門の形式をもつ。天守閣三ノ門東塀から射撃される構えとなっている。 天明4年(1784)雷火の為、天守閣とともに焼失し、安政元年(1854)再建された。 昭和10年、国宝に指定されたが、昭和25年法の改正により重要文化財となった。(案内板より)
桝形から二ノ門をくぐったら、左側に塀が…。
しかも、この塀の左側に三ノ門があるとは思いもしなかった!
【左】二ノ門の手前右側が、二ノ門東塀。その手前が二ノ門南櫓。
【真ん中】内側から。
【右】左から二ノ門、三ノ門東塀、三ノ門。
本壇における第3番目の門で高麗門の形式をもつ。 三ノ門南櫓・天守閣から射撃される構えとなっている。 天明4年(1784)雷火の為、天守閣とともに焼失し、安政元年(1854)再建された。 昭和10年、国宝に指定されたが、昭和25年法の改正により、重要文化財となった。 昭和25年、43年に修理が行われた。(案内板より)
【左&真ん中】三ノ門東塀と三ノ門。
【右】真横の大天守。
一ノ門・二ノ門・三ノ門を防衛する役目をもつ一重櫓である。 天明4年(1784)雷火の為、天守とともに焼失し、安政元年(1854)再建された。 昭和10年、国宝に指定されたが、昭和25年法の改正により重要文化財となった。(案内板より)
【左】二ノ門横・桝形から。
【真ん中】三ノ門から。くぐると、正面からやられる!
【右】開門時の太鼓はこれか…。
一ノ門南櫓・一ノ門・小天守を防衛する。 天明4年(1784)雷火の為、天守閣とともに焼失、安政元年(1854)に再建された。 昭和10年国宝に指定されたが、昭和25年法の改正により、重要文化財となった。 昭和59年、60年に修理が行われた。(案内板より)
【左】小天守から。真ん中が三ノ門南櫓。
【真ん中】筋鉄門から筋鉄門東塀と三ノ門南櫓。
【右】正面石垣の上!
脇戸附の櫓門で、門の柱に鉄板が張ってあるので、この名がある。 櫓は天守と小天守の通路となり、三ノ門を防衛する構えとなっている。 天明4年(1784)雷火の為焼失し、安政元年(1854)に再建された。 昭和8年放火によって焼失したが、昭和43年5月に昔日の姿に復元された。(案内板より)
【左】左から内門、大天守、筋鉄門。