ふくおかけん ふくおかじょう
■福岡城(別名=舞鶴城、石城)=見学自由
■舞鶴公園
駐車場=有料駐車場
(写真)南丸の多聞櫓。
※2004/8/13の写真も使用しています。(表記あり)
福岡城のページは、見学の順番で作成していません。
2011/8/15現在
住所=福岡市中央区城内
この時は、福岡都市高速環状線 西公園I.Cから南へ、
福浜団地入口信号を左折して進み、黒門橋信号を左折。
東へ進み、荒戸信号で右斜めへ。案内に従い大手門信号を右折、
少し先の左側の有料駐車場を利用した。
(※前回は、護国神社前信号を北上、左側の福岡市美術館の有料駐車場を利用。)
福岡城は、慶長5年(1600)10月、筑前国に封じられた初代藩主黒田長政が、 名島城に入城したが、治政上適地でないとみて、この地に 慶長6年(1601)から慶長12年(1607)にかけて築城した平山城である。 城は、天守台、本丸、二の丸、南丸(二の丸南郭)、三の丸からなり、 潮見櫓、多聞櫓をはじめとする47もの櫓があった。 城内の建物や石垣は、火災による焼失や自然災害による崩壊などによって しばしば修復が行われた他、江戸時期を通じて若干の改変があったが、 築城当初の縄張りに大きな変化は無かったようで、 内郭部分で41万u(福岡ドーム6個分)の広さがある。 城下の武家屋敷まで含めると246万u(福岡ドーム35個分)の広さを持つ、 日本有数の広大な城である。 石垣は、石垣積みの名人といわれた黒田二十四騎の1人、野口佐助一成が石垣普請奉行を務め、 5mから15mに及ぶ石垣が巡らされている。 福岡城の築城にあたっては、それまでの居城であった名島城の材木や瓦等の資材を積極的に再利用しており、 特に石垣に関しては、名島城のみではなく鴻臚館や元寇防塁の石材も使用されているようである。 また、城内の石垣の積み方も様々。 築城の際、もともとの地名は福崎と呼ばれていたが、 長政は黒田家再興の地である備前(岡山県)邑久郡(おくぐん)福岡に ちなんで改名し、これが市名の由来となっている。(案内板より・地図及び城郭図、肖像画も)
小さな縄張り図の写真をクリック→拡大。
【上】おおまかに。
【左】メイン部分。
【真ん中】城郭図と照らし合わせる事が出来て楽しい♪
【右】野口佐助一成。
【3枚】写真は、陸上競技場の南西側のもので、松ノ木坂門跡側から見学を始めた。
【右】入口の城址碑。