トロとまったり・tripのページ(福岡城 その6)

本丸・北西の石垣

【右】本丸西側から北西方面を。写真が小さくて見えづらい(^^;)

【左】松ノ木坂門跡を上がり、目に入る大きな北西の石垣。 写真左側へ向かうと、表御門跡、二の丸の北側へ。 右側へ行くと本丸裏御門跡、南丸方面へ。

本丸・表御門跡

大正7年(1918)黒田家の菩提寺である崇福寺の山門に移築。(案内板より・古写真も)

【左】二の丸側から。【右】本丸側から。

【左】左上の写真の左側の石垣。
【真ん中】左の写真の左奥へ続く石垣。
※崇福寺の写真は別ページで。

本丸・祈念櫓

【左】北側から。スッキリよく見えた! 【右】本丸から。

祈念櫓は本丸の北東隅に鬼門封じの為に建立された二層の櫓で、 棟札によって現在の建物は、万延元年(1860)3月に起工し、同年10月に竣工した事が判明している。 その後、大正7年(1918)には、本市内にある黒田家菩提寺の崇福寺が、陸運省から払い下げを受け、 その末寺である北九州市八幡東区の大正寺の境内に観音堂として移築された。 その際の棟札によると大正9年に竣工している。 さらに昭和58年(1983)から翌年にかけて、再び福岡城の現在の位置に再移築がされた。 大正初期の移築前に撮影されたと推定される古写真と現在の建物を比較すると、 下見板張り、白漆喰の壁、二層目の窓は花頭窓、軒先を方杖と軒桁で支える二層の櫓となっており、 復元された現在の祈念櫓とは外観や規模が異なっており、 福岡城から大正寺への移築の際に大幅な改変を受けたものと推測される。 1、2階の窓格子は白漆喰塗り仕上げで当時の様子をとどめている。 (案内板より・大正初期撮影と推定される古写真も)

【左&真ん中】東側から見上げて。木が邪魔する…(^^;)
【右】案内板より。

【左】南側から。 【真ん中】南東から。 【右】本丸から。

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