【切り取り加工】本丸多聞櫓跡の案内板より。(2013/6/19撮影)
【左】石がある所が旧石垣の南西隅櫓跡、手前の舗装が新石垣の南西隅櫓跡、 そこから続く細長い舗装の右側が塀跡。(2013/6/19撮影)
【右】肥前名護屋城図屏風と見比べると、相当改修されているのが分かる。(2013/6/19撮影)
【左】本丸多聞櫓跡の案内板より。肥前名護屋城図屏風は、多聞櫓でなく塀が描かれているので大改修前らしい。(2013/6/19撮影)
■本丸南西隅櫓跡…ここは本丸の南西隅にあたり、隅櫓の礎石が発見されている。
隅櫓は曲輪の隅部に配置され建物で、天守閣と同様に物見としての役目を持っていた。
発掘調査では、櫓の北壁と東壁にあたる礎石列の一部が確認されており、全体の規模は南北約10m、東西約10mの広さで、二階建ての建物と想像される。
また、この建物の南東部では、隅櫓に付属する付櫓と思われる礎石列も発見されている。
■隅櫓の「破却」…この南西隅櫓では、廃城に際し、建物を解体した後で礎石をそのまま放置するのではなく、その上に厚さ30cm以上も盛土を行い、隅櫓のあった範囲を完全に埋め込んでいた。
整備にあたっては、この破却の状況をそのまま保存することとし、盛土の範囲を赤色舗装によって示している。
また、盛土に覆われて見えていない礎石については、その上面に疑似礎石を置いて柱位置を示し、さらに界線によって建物範囲を表している。(案内板より)
【左】本丸南西隅櫓跡の案内板より。(2013/6/19撮影)
【右】馬場と二の丸付近から見上げて。(2013/6/19撮影)
【左】本丸新石垣櫓台側から本丸南西隅櫓跡方面。(2013/6/19撮影)
【右】左側の小さな枠が付櫓、奥の大きな枠が南西隅櫓。(2013/6/19撮影)
【左】奥が南西隅櫓、手前(細長い)が多聞櫓。(2013/6/19撮影)
【右】左2つの礎石が南西隅櫓。右2つが多聞櫓。 説明では、破却の際に盛土で埋められ、覆い隠されていた。(2013/6/19撮影)