■多聞櫓跡…本丸の西側と南側は、ある時期に築城時の石垣(旧石垣)をそのまま埋め込んで新しい石垣(新石垣)を築き、大規模な拡張を行っていた事が明らかとなっている。 その本丸西側に、新たに多聞櫓とそれに続く南西隅櫓が建てられた。多聞櫓とは長屋状に造られた櫓で、主に武器や食料の倉庫として使われた。 ここでは当時の礎石がほぼ1m間隔(6尺5寸を1間とした場合の半間)で、南北に長く並んでいる様子が発見されている。 この礎石列は櫓の桁方向の柱を支える土台石で、本丸側の外壁にあたる。また、この礎石列から西側に延びる梁方向の礎石列も確認されている。 石垣の破却によって壊された部分を復元すると、全長約55m、幅約8mの規模を持つ、長大な建物であった事が分かる。 また、櫓の周囲からは、廃城に伴う建物の解体の際に廃棄した大量の瓦片が発見された。 特に、南西隅櫓周辺では礎石を盛土で覆っている状況も確認され、櫓の破却の様子についても重要な資料を得ることが出来た。(案内板より)
【切り取り加工】本丸多聞櫓跡の案内板より。(2013/6/19撮影)
【左】本丸南西隅櫓跡側から多聞櫓方面。石がある所が旧石垣の南西隅櫓跡。(2013/6/19撮影)
【右】玉石敷の復元の奥が多聞櫓跡。(2013/6/19撮影)
■玉石敷の復元…多聞櫓東側の外回りでは、ほぼ全面で玉石敷が発見されている。 玉石敷は櫓の外壁に近い所では小さな玉石が、その外側には大きな玉石が敷かれていた。 また、大小の玉石敷の境に石列を設け、これらを仕切っている箇所も見られた。 小さな玉石敷は軒先からの雨落ちを受けるもので、大きな玉石敷は通路であったと考えられる。 ここでは、瓦層に覆われて見る事が出来ない玉石敷の様子を、実際の遺構上に復元している。(案内板より)
【左】本丸南西隅櫓跡側の玉石敷の復元から天守台方面。写真左側が多聞櫓跡。(2013/6/19撮影)
【右】本丸南西隅櫓跡側の玉石敷の復元方面。(2013/6/19撮影)
【左】天守台側の玉石敷の復元。(2013/6/19撮影)
【右】天守台側の玉石敷の復元。(2013/6/19撮影)
【左】天守台から。白く見える所の右側が多聞櫓跡。(2013/6/19撮影)
【右】遊撃丸南東の虎口側から本丸北西〜西方面。(2013/6/19撮影)
この付近を見た時、なんとも凄いな…という印象だった。
【左】遊撃丸南東付近から本丸西側方面。高くなった所が多聞櫓跡。(2013/6/19撮影)
【右】遊撃丸南東の虎口側から本丸北西〜西方面。左側の1番高い所が天守台で、その奥が横の凹み。(2013/6/19撮影)