■千貫櫓…大坂城の大手口を守る重要な隅櫓の一つで、元和6年(1620)に創建されたもので、 昭和36年(1951)の解体修理の際、土台の木材から「元和六年九月十三日御柱立つ」の墨書が見つかり、この建物の棟上げ式の日がはっきりした。 現存の城内古建築物の中で、乾櫓とともに最も古いものである。 名称の由来については、織田信長軍の石山本願寺攻めの時、一つの隅櫓からの横矢に悩まされ、 あの櫓さえ落とせるなら、銭千貫文与えても惜しくはないと話し合ったというエピソードが伝えられている。(案内板より)
【左】西外堀側。写真中央が千貫櫓、右が多門櫓と大手門。(2006/11/24撮影)
【右】西外堀側。角度を変えて。(2006/11/24撮影)
【切り取り加工】写真左から千貫櫓、多門櫓、大手門。(2006/11/24撮影)
【切り取り加工】大手門付近から千貫櫓。左奥が西の丸の申櫓跡。(2006/11/24撮影)
【左】多門櫓をくぐって千貫櫓を。(2006/11/24撮影)
【右】左の写真と同じ。(2006/11/24撮影)
【左】西の丸庭園側から。(2006/11/24撮影)
【右】千貫櫓の横の塀。どうして塀がこうなっているんだろう? 不思議〜(^^)(2006/11/24撮影)
【左】千貫櫓横から大手口。(2006/11/24撮影)
【右】千貫櫓横から西外堀と西の丸の坤櫓跡(写真右側の石垣)。(2006/11/24撮影)
【切り取り加工】天守から。写真左側の緑の屋根が二の丸南曲輪の修道館、その右が六番櫓。 写真右側が大手の多聞櫓と千貫櫓。(2006/11/24撮影)